庭のアジサイ「西安(シーアン)」を、今年も毎週写真に残してきました。
「来週はどんな色になっているかな」
そんな小さな楽しみができてから、庭へ出る回数が少し増えた気がします。
最初に撮影した6月5日は、まだ咲き始め。

白い花びらに、ほんのりとピンクや紫が差し込んでいる程度でした。まるで水彩絵の具を一滴落としたような、やさしい色合いです。
それが一週間後には紫が濃くなり、さらに次の週には鮮やかなピンクへ。


そして今日。
花はすっかり深みのあるアンティークカラーへと変わっていました。

普通のアジサイは、咲いて終わるという印象があります。
でも、西安は少し違います。
咲いたあとも色を変え続け、まるで別の花になったような姿を何度も見せてくれるのです。
「今が一番きれい。」
そう思っていた翌週には、また違う「一番」を更新してくる。
庭にいるのは同じ株なのに、毎週新しい花を見ているような不思議な気持ちになります。
私は以前、更年期や体調を崩していた頃、庭の手入れをする余裕がほとんどありませんでした。
庭に咲いていた西安も、きっと毎年同じように色を変えながら咲いてくれていたのでしょう。
それなのに、その美しさに目を向けることができませんでした。
花が悪いわけでも、庭が変わったわけでもありません。
ただ、私の心に、それを受け止める余裕がなかったのです。
最近になって少しずつ体調が落ち着き、庭へ出る時間が増えました。
ブログを書くようになり、毎週カメラを向けていると、「先週より少し紫が濃くなった」「今週はピンクが増えている」と、小さな変化が自然と目に入るようになりました。

以前なら見過ごしていた一週間の変化が、今では季節の流れを教えてくれる大切な時間になっています。
人はつい、「一番きれいな瞬間」だけを追いかけてしまいます。
満開。
収穫。
完成。
でも西安を見ていると、そうではないのかもしれないと思います。
咲き始めにも美しさがあり、色づく途中にも美しさがあり、少しくすんだアンティークカラーになってからも、また違う魅力がある。
変わっていくことそのものが、この花の美しさなのです。
そう考えると、人も少し似ているのかもしれません。
若い頃と今ではできることも、感じることも変わりました。
体力も変わりました。
けれど、その時々で違う景色を楽しめるようになった気がします。
今日の西安は、6月に咲き始めた頃とはまるで別の花のようでした。
けれど、それは「終わりの色」ではありません。
ここまで咲き続けてきた時間が重なって生まれた色。
毎週カメラを向けてきたからこそ、その変化を最後まで見届けることができました。
来年もまた、この色の旅を最初から追いかけたいと思います。
きっと同じように咲いても、今年とは少し違う景色を見せてくれるはずです。

まだ色の変化をみていたのですが、そろそろ花を落とさないといけない時期なんですよね。今年も楽しませてくれました。
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