わが家の「サグラダ・ファミリア」が、ついに完結した話

サグラダファミリアのイメージ画像 ぼちぼちひとり言

私のすぐ隣には、もう数ヶ月前から鎮座している「あるもの」があります。 それは、編みかけのセーター。

編みかけの毛糸

昨年末の福袋に入っていた毛糸なので、かれこれ4ヶ月ほどでしょうか。

▼以前ご紹介した福袋の記事はこちら

本来なら、集中すれば数週間で編み上がるはずのもの。 それなのに、どうしてこのセーターは一向に進まないのでしょう。最近では、この停滞感にすらある種の神聖さを感じ始め、もはやわが家の「サグラダ・ファミリア」と呼びたい気分になってきました。

ガウディが遺した「未完の美」の正体

サグラダ・ファミリアといえば、世界的に「未完の美」の象徴として知られていますよね。 以前、スペインで観光ガイドさんに解説してもらったお話が、とても深く心に残っています。

アントニ・ガウディ自身、この教会を「世代を超えて作り続けるもの」と捉えていたそうです。

彼は生前、「一つの世代だけで完成させるのではなく、後の世代がそれぞれの時代の感性を吹き込みながら作り続けるべきだ」というような言葉を遺したといいます。

完成していない状態こそが、現在進行形で成長し続ける「生命体」のような美しさを放つ。

あまりにも長い工期なので、バルセロナの人たちにとってクレーンが立ち並ぶ教会の姿は、もはや「当たり前の日常」となっていました。

「生きているうちに完成を見ることはないだろう」

そんな前提があるからこそ、人はその儚さと壮大さにロマンを感じ、「未完であること自体が、サグラダ・ファミリアの正解なのではないか」と語られるようになったのです。

……なんて壮大なお話を思い出すと、私の「ただの手が進んでいないセーター」を同列に語るのは、あまりにもおこがましい気がしてきますね。

「生きているうちに」といえば、あの名作

そして「生きているうちに完成を見ることができないかも……」という言葉で、私の中にもう一つ浮かぶものがあります。

そう、漫画『ガラスの仮面』です。

あまりにも連載期間が長く、もはや「新刊が出ないことが当たり前の日常」になってしまいました。 これも一種の「未完の美」と呼べるのでしょうか?

いえいえ、サグラダ・ファミリアとは違い、こちらはファンとして一日も早く続きが読みたくて、首を長くして待っているのです。美内先生、なにとぞ、なにとぞ完結を……!

結局、セーターの「正解」は?

そんな壮大な「未完のロマン」に思いを馳せながら、無意識に編み棒を動かしていた時のことです。

「あ……」

気づけば最後の1段を編み終え、あんなに停滞していたセーターが、いつの間にか完成してしまいました。

私の手元で数ヶ月間、ひとつの「生命体(?)」のように成長し続けていた毛糸の塊。 形になってしまうと、あの「いつまでも続く未完のワクワク感」が少し名残惜しい気もしますが……。

けれど、サグラダ・ファミリアは祈りの場であり、『ガラスの仮面』は読むもの。 そしてセーターは、着てこそなんぼです。

「未完の美」も素敵ですが、やっぱり私は「完成した温もり」を取りたい。 ようやく袖を通せる喜びを噛み締めながら、この冬はガシガシ着倒していきたいと思います。

わが家のサグラダ・ファミリア、これにて無事に「完結」です!

みいやん
みいやん

次はサマーセーターです。夏が終わるまでには編み上げるぞー!

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お読みいただき、ありがとうございます。紫のセーター、完成したらまた見てください。

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