掛け時計がわが家に無い理由

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二年前にこの家に引っ越してから、買おうと思いながらずっと決められないものがあります。

 

それは『時計』。

 

 

 

壁の前を飾る

引っ越し前からここの壁面に掛け時計をつける計画をたてていたのですが、「これだ!」と思う掛け時計がいまだに見つかりません。

いろいろな時計を見ているうちに、この場所にはつけないほうがいいんじゃないかという気持ちも沸いてきて、もう二年間も「どれにしよう?」「いや、やっぱりいらないかも。」を繰り返しているのです。

 

そんな事情があるので、時計は今はこれしか持っていません。
目覚まし時計
旅行用目覚まし時計です。

 

時計といえば時計なんだけど、手のひらで握れるほどの大きさしかないこの時計は、離れたところから時間を見るのには適してないんですよね。

時間を確認するには常に自分のそばに置いておかないとダメ。

 

 

目覚まし置き場

だからこの時計の定位置は、ずっとここでした。

そう。

収納棚の中…。

 

「置時計として機能しないなら、もう収納にしまっちゃってもいいよねー。」とここに放り込んでおりました。

でも、せっかくの時計を旅行の時しか使わないのはなんだか勿体ない。

収納戸を開けるたびにそう感じていたので、最近、収納棚から引っ張り出してきて”勿体ない精神”で枕元に置き目覚ましとして使うようにしてます。

 

と、ここまで書くときっと皆さん思うはず。

 

「あれ?これ部屋に時計いらないパターンじゃ…?」

 

 

スマホを家の中でも持ち歩きPCの前にいる時間が長い私と夫の場合は、時間の確認も目覚ましもパソコンと携帯、スマホがあれば充分なんですよ。

実際にPCと携帯だけでもうずっとやってきています。

そうすると、『時間の確認』としての掛け時計や置時計は我が家には必要ないですよね。

 

ただ、私が時計に惹かれるのには別の理由がありまして。

小学校の廊下に飾っていた、ダリの『記憶の固執』。

小学生の私には刺激が強すぎました。

 

「蟻はどうして時計に集まってる?」

「フカヒレは嵐で死んでしまった??」

いろいろ想像を膨らませていると湧き上がってくる奇妙な気分が中毒になってしまい、休み時間にたびたびこの絵をみに行っていた記憶があります。

 

この絵の時計が印象深かったからか、いつしか時計になんともいえない感覚を持つようになっていました。異世界とのつながりのような、懐かしいフワフワしたものを感じます。

おもえば不思議の国のアリスやドラえもんのタイムマシーンにも時計が描かれていますよね。

やっぱり時計は別の世界との鍵になっているのでしょうか?

 

時計に対してはこんな風に時間やアラームという機能だけでない想いがあります。

現在を確かめる道具でもあるけど、現実から離れていきそうにもなる道具。

部屋に飾るとちょっと面白そう。

 

いつかダリの絵を見た時のような気持ちを持っていかれる時計に出会えることを願ってます。

それまで壁のスペースを開けて待っていることにしよう。

 

 

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